センス・オブ・ワンダー

園長 古川陽子

 お店の出入口の上にツバメが巣を作ろうとしていました。お客さんの出入りがあるのですがら撤去されてしまうのではと思いきや、そこには『ツバメが巣を作っています。落とし物にお気を付け下さい』の貼り紙が。どうやら人間が譲るという珍しいパターンのようです。どうして?…と思い調べてみると、ツバメが巣を作る家は「子宝に恵まれる」とか、「金運が上がる」といった言い伝えがあるとか。確かに風水的にパワーのある場所に巣を作るようなのですが、実はカラスなどの外敵から守るためにわざと人通りの多い場所に巣を作るというのが真相のようです。
 ところ変わって聖愛幼稚園。ある子が、「蜘蛛の巣に水をかけたい」というので、それでは蜘蛛さんがびっくりしてしまうんじゃない?と言うと「大丈夫。今は居ないみたいだから。」という返事。霧吹きに水を入れてわたすと、「見ててー!」と目をキラキラさせて蜘蛛の巣にシュッシュッ。みるみるうちに巣がダイヤモンドのように輝き、きれいな模様が浮かび上がりました。「うわぁ〜!きれい!」の声に、「見せて!」「私もやりたい!」「もっと蜘蛛の巣探してくる!」と子どもたちは大興奮。
 私たち大人の世界では、蜘蛛の巣は不潔で気味が悪く、家にあったらすぐに取り去ろうとします。一方でツバメの巣は大切に見守るもののそこには“幸運を運んできてね”という私欲が見え隠れ。一心不乱に(蜘蛛のいない)蜘蛛の巣探しをしている子どもたちの姿を見ながら、自分はいつから自然の頂点に人間がいるような錯覚に陥り、蜘蛛の巣の美しさも忘れてしまったのだろうと恥ずかしく思いました。
 子どもの頃にあるセンス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)をいつまでも無くさずに持ち続けて欲しいと、それを邪魔する大人であってはならないと強く思います。自然に触れる機会の増えるこの季節。子どもたちの感性が大いに刺激される毎日でありますように。

伝えることのむずかしさ

主任 栗城円

 保護者の皆様には、いつも温かく見守っていただきまして、ありがとうございます。
先日の親子遠足では、たくさんのお家の方にご参加いただきました。悪天候の中、予定を変更するところがありましたが、快く受け入れていただき感謝しております。また、よい思い出となりました、とのお声かけをたくさんいただき、本当に嬉しく思います。
 さて、新学期が始まって、約二ヶ月が過ぎました。子どもたちは園生活にすっかり慣れて、日々元気いっぱい過ごしています。たくさん遊んでお片付けの時間、片付けず、遊び続ける子たちが。「はやく、片付けて!」と言いますがなかなか進みません。もちろん、黙々と片付けている子もいます。そこで、「わぁー、お部屋がきれいになってきている!お片付けしてくれてうれしいな」と声をかけると、遊び続けていた子たちも、徐々に片付け始めました。「みんなで片付けると楽しいね。ありがとう!」みんなで最後まで片付けることができました。出来ている子、よいことに目を向ける。先日参加した研修で教えていただきました。どうしても、できていないことに対して、まゆげをつりあげて、やりなさい!と強く言ってしまいます。そうすると、子どもにとっては、言われたから、怒られたから、嫌々やることになってしまいます。子どもが感じて、自発的に行ったことにより、達成感もでてきます。もちろん、いけないことをしっかり叱ることも大切です。改めて伝えることの大切さ、難しさを感じています。悪いことばかりを口にするのではなく、よいこと、言われてうれしくなることを、いい表情で伝えていけるようにしていきたいなと思っています。

「家」

チャプレン 司祭 八 木 正 言
 家という言葉にみなさんはどんなイメージを抱かれるでしょうか?
おそらく多くの人が、恐れを抱く必要のない場所、飾らなくてもいい場所、心配や緊張、あるいは圧迫感から解放される場所…そんな休息や癒しの場所をイメージされるのではないでしょうか。実際、私たちは家で、笑ったり、泣いたり、眠ったり、食べたり、飲んだり、音楽に耳を傾けたり、友人を招いたりという、人生を豊かにするあらゆる経験をすることができます。
ところがこの世界には、家を持たない人が何百万人もいます。いわゆるホームレスと呼ばれる人々です。また刑務所、難民キャンプ、養護施設などで暮らす自分の家を持たない人もいれば、表面的に目立ちはしないものの、同じ家に住みながら「境界線」を引いてしまっていて、建物としての家屋はあっても、家を持たないと言える状況の人たちもいるのが残念ながら現実です。
だから、今日の社会における様々な「痛み」を伴う現実を、最も端的に「家がない」と表現できるのかも知れません。逆に家を持っているというときの最もはっきりした特徴は、安らぎであり、親しみであるとも。
聖書でイエスが語られる「わたしの父の家には住む所がたくさんある」「もしなくても、用意する」と言われたのはだから、大いなる慰めの言葉だと思うのです。イエスはすべての人に帰属する場所があると言われ、心にかけてもらえ、愛されていると感じられる場所を保証する、いやしなければならない、そう誓ってくださるのです。
 この真実に希望をもつことができます。そしてすべての人がこの希望をもって生きていけるようにと祈り求めたいと思います。聖愛幼稚園がすべてのお友だちにとっての「家」となることを願いつつ。

スタート!

園長 古川陽子

『かみさまからのおくりもの』という絵本があります。あかちゃんは産まれるとき神さまから贈り物をもらいます。“よくわらう”を贈られたあかちゃんはよく笑う明るい子に、“ちからもち”をもらったら元気な子に、“うたがすき”は声のきれいな子に、“よく食べる”は丈夫な子に、“やさしい”は心の優しい子に育ちます。
 私たちもそれぞれ特別の贈り物をもらっています。どんな贈り物がすぐ分かることもあるし、なかなか分からないこともあります。でも、必ずもらっているのです。幼稚園の役割の一つは、その贈り物を見つけること、そして大切に育てること。
 2017年度がスタートしました。新しいお友達やご家族の方は期待と不安で胸がいっぱいのことでしょう。だいじょうぶ、だいじょうぶ。幼稚園は子どもたちのこれから長く続く人生の根っこを育てる大切な時期です。まずは楽しみましょう。ゆっくりじっくり育てていきましょう。子どもたちだけではなく、私たちも。ゆっくりじっくり育ちあいましょう。
 私たち大人が信頼し合って仲良く力を合わせる姿を見せることが、どれほど子どもたちに良い影響を与えることでしょう。この恵まれた環境を作ってくださる保護者の方々の存在にいつも力をいただいています。教職員一同、身を引き締めて、子どもたちの命と成長を委ねていただいていることに感謝と責任を感じつつ、今年度も全力で取り組みたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。

はとぐみさん!

園長 古川陽子
 何度となく子どもたちと共に読んできた絵本に『神さまの贈り物』があります。赤ちゃんが生まれるとき、神様は一人一人の赤ちゃんに贈り物をくださいます。あかいほっぺの赤ちゃんには「よく わらう」を、おおきい赤ちゃんには「ちからもち」を。もうすぐこの幼稚園を巣立っていくはとぐみさんにも、神さまはたくさんの贈り物をくださいました。
 純一郎くんはだれとでもすぐに友だちになれる能力を。慶次郎くんは人に信頼される裏表のない心を。聖哉くんはイメージを形にして表現することができる器用さを。円佳ちゃんは楽しいアイディアがどんどんでてくる想像力を。碧ちゃんはみんなの意見を上手に聞けるリーダーシップを。寛太くんは相手の身になって考えることができる広い心を。菊田沙彩花ちゃんは苦手なことでも挑戦してみる前向きな気持ちを。川田紗耶花ちゃんはまわりがつられるほどの底抜けの明るさを。陽和ちゃんはできるところまでやってみようと頑張る強さを。樹季ちゃんは思ったことを実行しやり遂げる行動力を。俊輔くんはこつこつと努力できる根気を。ちひろちゃんは色々な出来事から多くのことを学べる賢さを。光喜くんは計算のない子どもらしい正直さを。真衣ちゃんはみんなを虜にする可愛らしい笑顔を。昭太くんはどんなに動いても楽しいと思える元気な体を。
もっともっとたくさんの贈り物をもらっていることでしょう。どうぞ神さまからいただいた贈り物をこれからも大切にしてください。これからもずっと応援しています。「いつでも、どこでも、どんなあなたでも愛されている」ことを忘れずにいてくださいね。


バディ、安らかに

チャプレン 司祭 越山 哲也

「わたしたちは、何一つ持たないでこの世に来た。また、何一つ持たないでこの世をさっていく。主が与え、主がとられる。主のみ名はほむべきかな。」(聖書のみ言葉より)

1月26日(月)の朝の通園時に、保護者の方から「バディ」の死の知らせを伺いました。すぐに先生方にも伝え、子どもたちにもお話をしました。幼稚園の保育室にあるクライムイングウオールにも5匹のワンちゃんが仲良く描かれており、その一匹がバディです。バディの絵を子どもたちがお花で囲み、お祈りをしました。
 バディのことを知らない子どもたち、保護者の方もいらっしゃると思います。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、幼稚園には本当に多くの方々からのご支援を頂きました。その中で、東京の聖公会立教女学院小学校で「動物介在教育」を行っている中心人物である吉田太郎先生が一匹のワンちゃん「バディ」を連れて幼稚園に遊びに来てくださいました。震災後まもない時だったと思います。その時の様子を今でも私ははっきり覚えています。子どもたちがバディに寄り添い目を輝かせていました。それから吉田先生は何度も若松を訪ねてくださり、バディの他にもリンク、ブレス、ウィルを一緒に連れてきてくれました。それから今まで継続して立教女学院と聖愛幼稚園の交流は続いています。バディの容態が良くない時は子どもたちから毛布を送ってあげました。みんなでバディの回復を願っていましたが、天国へと旅立っていきました。
「動物介在教育」にとって「死」も大切なテーマです。冒頭の聖書の言葉から私は死んでいくものは思い出を残していくのではないかと思いました。バディとの出会いを通して与えられた思い出と大きなお恵みを忘れずに「いのち」の尊さをいつも心に刻みながら生きていきたいと思いました。

こころの声

チャプレン 司祭 越山 哲也

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。この年末年始はどのようにお過ごしになったでしょうか?私は昨年の12月中旬から腰を痛めてしまい、病院に行ったところ「椎間板ヘルニア」でした。飲み薬と湿布などでだいぶよくなってきました。
お医者さんによると椎間板ヘルニアは必ずしも痛みがあるとは限らず誰にでもなりうる病気と言われました。私の場合は運動不足の解消と体重を減らして筋肉をつけることが大切だと言われました。大いに反省をした昨年の年末でした。
昨年の春の健康診断の際にも本人は気づいていないけど隠れ○○○、例えばヘルニア、肥満、不眠症などがあるから自分の体のセルフチェックを日頃からすることが大切ですと言われた事も思い出しました。自覚症状がないように思っていても実は体からのSOS信号は必ずあるそうです。しかし、その信号をキャッチすることはなかなか難しいことです。見た目は元気そうでも実際はそうとは限らないものです。
子どもたちの行動や言葉の背景にも必ず原因があると思います。どうしてなのだろうと悩むことが多いと思います。私も一人の親としてそう思います。そんなときには目には見えない「こころの声」に耳を傾けることにしています。具体的にはじっくりと子どもの話に耳を傾ける、自分の言動を振り返ってみるなどです。その中に子どもたちからの「心の声」信号が隠されているのではないでしょうか。
 本当に大切なことは、体も心も目には見えない隠れた部分にあるのだと思います。そのことを大事にしていきたいですね。