【12月の言葉】「抱きしめる」それは「抱きしめられる」こと

 タンポポ組さんの一人が泣き止まないでいたことがありました。「だいじょうぶ?」とお友達が次々に声をかけてくれていましたが、ある女の子が泣いている子に近寄ったかと思うとその子をそっと抱きしめてくれました。先生たちが日頃子ども達のことを抱きしめている姿をよく目にしていたからなのか、抱きしめられる安心感と喜びを感じた自分の体験によるのかはわかりませんが、それはなんとも微笑ましい姿でした。その時なぜかふと児童精神科の専門家である渡辺久子氏の『抱きしめてあげて』の一節を思い出しました。「傷ついた心には小手先の優しさや励ましは役立たず、捨て身の真心でその子のあるがままの姿を認め、抱きしめてやるほかない。迷いながらも子どもをしっかりと抱きしめることができるようになったお母さんお父さんは、自分自身が自分の弱さや寂しさに気づき、子どもの心に共感できるようになった人です。」

 私たちが子ども達を抱きしめるため手を伸ばすとき、子ども達もまた私たちに手を広げ受け入れてくれる。子どもを「抱きしめる」、実はそれは「抱きしめられる」ことなのだと気づきました。抱きしめること、それは命の中に迎え入れられること、そして自分が癒されることでもあったのです。

 今年も幼子イエスさまのご誕生を迎える準備が始まりました。毎日クリスマスのお話をしたり、絵本を読んだり、お部屋の飾りつけをしたり、クリスマスソングを歌ったり、そして聖劇ごっこをしたりしながらクリスマスへ向けて心の準備をしています。でもイエスさまを迎える私たちが、実はイエスさまに迎えられるのだということを大切に思い巡らしていたいと思います。クリスマスの夜、飼い葉桶で抱きしめられることを求め、母マリアに向けて差し出されたイエスさまのその手は、「もう大丈夫だよ」と私たちを抱きしめるために神さまが私たち差し出して下さっている愛の手なのです。



photo by Eiji Yahagi