「家」

チャプレン 司祭 八 木 正 言
 家という言葉にみなさんはどんなイメージを抱かれるでしょうか?
おそらく多くの人が、恐れを抱く必要のない場所、飾らなくてもいい場所、心配や緊張、あるいは圧迫感から解放される場所…そんな休息や癒しの場所をイメージされるのではないでしょうか。実際、私たちは家で、笑ったり、泣いたり、眠ったり、食べたり、飲んだり、音楽に耳を傾けたり、友人を招いたりという、人生を豊かにするあらゆる経験をすることができます。
ところがこの世界には、家を持たない人が何百万人もいます。いわゆるホームレスと呼ばれる人々です。また刑務所、難民キャンプ、養護施設などで暮らす自分の家を持たない人もいれば、表面的に目立ちはしないものの、同じ家に住みながら「境界線」を引いてしまっていて、建物としての家屋はあっても、家を持たないと言える状況の人たちもいるのが残念ながら現実です。
だから、今日の社会における様々な「痛み」を伴う現実を、最も端的に「家がない」と表現できるのかも知れません。逆に家を持っているというときの最もはっきりした特徴は、安らぎであり、親しみであるとも。
聖書でイエスが語られる「わたしの父の家には住む所がたくさんある」「もしなくても、用意する」と言われたのはだから、大いなる慰めの言葉だと思うのです。イエスはすべての人に帰属する場所があると言われ、心にかけてもらえ、愛されていると感じられる場所を保証する、いやしなければならない、そう誓ってくださるのです。
 この真実に希望をもつことができます。そしてすべての人がこの希望をもって生きていけるようにと祈り求めたいと思います。聖愛幼稚園がすべてのお友だちにとっての「家」となることを願いつつ。