【7月の言葉】互いに愛し合いなさい

 梅雨の合間に訪れる真夏日に、子ども達が楽しみに待っていたプール遊びが始まりました。響き渡る歓声は、夏の暑さを心地よいものに変えてくれています。

 「愛」という言葉はキリスト教の最も中心となる言葉です。キリスト教は愛の宗教だとされ、神の大いなる愛の現れとしてイエス・キリストの生涯、十字架の死と復活の出来事が語られます。そして、その愛を受けた私たちが為すべきこととして「隣人を愛する」ことが求められ、実にたくさんの偉大なクリスチャンたちが、この愛の教えを実践し、その結果、キリスト教のイメージがどちらかというと「愛する」というこちらからの働きかけが強調されたものになっているような気がします。
 無償の愛はもちろんキリスト教の愛の大切な側面だと思いますが、しかし、イエス様が私たちに求めることは「愛する」という一方通行のものというよりは、愛すると同時に私たちもまた愛されることであることを見落としてしまいがちです。イエス様の教えは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」です。私たちが「愛し合うこと」、人を愛すると同時に自分もまた人から、隣人から愛されることを求めています。

 人を愛することの大切さと共に、私たちは人から愛されたり、赦されたり、また悲しみや苦しみの中にいる時、そっと傍にいてもらったりする、「してもらう」ことの中で、私たちは本当に大切なことに気づいて行くのではないでしょうか。誕生礼拝の折、誕生日を迎えた子どもたちのために毎回こう祈ります。「どうかこれらのお友だちに祝福を与え、健やかな体と心で神さまと人々を愛し、また愛されますように。アーメン」

 子どもたちがたくさん「愛し」たくさん「愛される」人に成長しますように。