うれしいきもち

主任 栗城円

朝夕、寒い日が続くようになりました。昼になると天高い青空の日が多く、気持ちの良い秋の日を子どもたちと共に過ごしています。運動会を終え、2学期も中盤を迎えて子どもたちはひとまわり成長したように感じます。今までは少ない人数で始まっていた鬼ごっこが最近は大人数でお互い意見を出し合いながら行っています。一人で黙々と遊んでいた子も、気の合うお友達ができて、仲良く遊びを進めたり、元気に歌ったり、踊ったりしている姿が多くなりました。リトミック活動、書道教室、造形教室などでは、お話をよく聞いて真剣に取り組む姿が見られます。遊んだあとも、活動のあとも、聞こえてくる言葉「たのしかった!」この言葉を聞くと、私は自然と笑顔になります。
各係り活動などのお話し合いでお母さんたちが集まっていたときにも、「いろいろ計画していくの楽しい!」また、行事後の話しの中でも「楽しかったですね」という声が・・子どもたちもお家の方も幼稚園生活や活動を楽しんでくださっている、なんて素晴らしい、最近の私の日々のわくわく嬉しい気持ちはこのおかげだったんだと、感じる今日この頃です。「○○君、うんていがもうすぐで全部できそう。がんばった手を見せてくれて嬉しくなっちゃいました。」「○○ちゃん洋服を脱いだり来たりするの手伝わなくてもできるようになったんです!」「困っているお友達に『先生に言っておいで、わからなかったらもう一回戻っておいで』って、お姉さんな発言でびっくりしました。」職員室での先生たちの会話です。これからも、神さまに守られながら子どもたちを真ん中にみなさんで楽しく生活していきたいと強く感じています。

トンビがタカを産む

園長 古川陽子

 プライベートな話で恐縮ですが、私の長女には小学校の教師になりたいという夢があり、今、教育実習のまっただ中です。長女は、大学の友人が脇目も振らずストイックに教員採用試験に注力する姿を見て、そこまで全てを捧げることのできない自分を「教師に向いていないのでは?」と悩んでいました。
 ちょっと話はずれますが、バザー委員の会議では、始める前に委員長さんがみんなに無茶ぶりをなさいます。「部活は何をやってきましたか?」「今日嬉しかったことは何ですか?」などなど。一気に和やかムードになり、素晴らしい場の作り方に感心するばかりです。先日の会議でのテーマは「今思うこと」でした。
 家に帰って、バザー委員さんのこの温かな時間について長女に自慢をし、そして尋ねてみました。いつも指導案と格闘し、日々自分の至らなさを痛感し、ときに涙さえ浮かべている長女に。「今どんなこと思ってる?」と。
 彼女はこう言いました。「今までは周りの人と自分を比べて、自分がその人たちと同じようにできないから、“自分は向いてないんだな”と思ってた。だけど、向いてるかどうかなんて関係ないんじゃないかと思えてきた。自分はそれが好きか、やってみたいと思えるか。情熱を注げるか。他人と比べてじゃなくて、自分がどう思うかってことが重要なんだと思えてきた。」
 こう感じられるのは、指導教諭の大きくて温かな見守りと導きあってこそ。そして、目の前に心から可愛らしいと思える児童の皆さんがいること。そんな恵まれた場所で教育実習できることが大きいと思いますし、長女もそう感謝しています。
 他者と比べて自分の幸せ不幸せを決めることはやめよう。私には私だけの特別な人生があるのだから。神さまが用意してくださった幸せのご計画があるのだから。そんな深読みをし、勝手に勇気づけられているトンビ母さんでした。

「自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」(ローマの信徒への手紙15:1)

チャプレン 司祭 八 木 正 言

 1968年のアメリカ大統領選、そのキャンペーン・スピーチで、ロバート・ケネディは語りました。世界一であるアメリカのGNP(国民総生産)の中に何が含まれ、何が含まれていないかを考えてみようと。
 例えば戦争で使用される武器や爆弾はGNPに計算されますが、子どもたちの健康や人々の思いやりは勘定されません。つまり「GNPの中から、わたしたちの生きがいがすっぽり抜け落ちている」と。
 私たちが求め続けてきた、経済的な豊かさを求める姿勢を保持したままで発展成長を考えるのではなく、スローでシンプルであっても、一人ひとりが幸せを感じることのできる社会づくり、これが今に生きる私たちの心に刻まねばならないキー・ワードなのだと語ったのです。
 時を隔て、ところ変わってブータンでは、前国王が提唱したGNH(Gross National Happiness)が世界から注目を集めました。これも経済的な豊かさのみを追い求めるのではなく、個々人が幸せを感じることができる環境作りをしようというものです。開発・近代化のみでなく、伝統文化や精神文化との共存を目指す独自の哲学・仏教がその背景にはあります。
 そこで思い浮かんだのが今日の聖書の言葉です。私の幸せ、私の豊かさ、私の安心を一生懸命求め続け、ある程度それらを手に入れることができた私たちは、それでも心が満たされなかった真実をしっかりと受け入れ、今こそ「隣人を喜ばせ、互いの向上に努める」価値観を身につけなければならないのではないでしょうか。
 そんな聖愛幼稚園であることを願いつつ、さぁ2学期スタートです!

ときに備えて

園 長 古川陽子

 朝、植木に水をまいている私の背中に、遠くから「おはよー!」と元気な声をかけてくれるAちゃん。私も手を大きく振って「おはよー!!」と出迎えます。つい最近までは、お母さんから離れることが淋しくて玄関で涙が溢れてしまっていたのに。
「心のコップが『安心』でいっぱいになったんだなぁ」と嬉しくなります。
 心の中にはコップがあるのだと思います。大きくてたくさん入るコップもあれば、小さくて少ししか入らないコップもあります。見かけは整っていて美しくても繊細で割れやすかったり、ひび割れているように見えても頑丈で割れにくかったり。子どもたちは自分の心のコップを毎日せっせと作っています。
 私たち大人も心のコップを感じるときがありませんか? 嬉しいもので満たされると、なんだか楽しくて何でもできるような気持ちになり、悲しいもので満たされると思考が停止し何をするのも億劫。私は自分のコップの貧弱さを自覚する毎日です。
そしてときに、私たちはコップに入るものを選ぶことができません。「どうしてこんなことが?」「何故こんな目に合わなければならないの?」そう思う経験をされた方もおられるのではないでしょうか。
 そんなときは考えても答えは出ないのかもしれません。人間の分際では分からないと腹を決め、解決や理由を求めることなくその状況を受ける能力が私たちに必要なときがある。ネガティブ・ケイパビリティ=答えのでない状況を耐える力です。そういう力が実は私たちを守り、成長させてくれるのだと、自戒を込めて思います。
 ときに備えて、その能力を得ておくためには、幼いころから人間の範囲を超えた存在に触れ、神秘なものに心動かされる体験が必要なのだと思います。ゲームやYouTubeといった人間が作ったもので育つものもあるでしょう。それを全否定するつもりはありませんが、人間が作ることのできない自然や神秘に触れる体験を超えるものとは思えません。特に幼児期には。環境を作る責任は大人にのみあるということを肝に銘じたいと思います。

優しい心で

主任 栗城円

 新学期が始まって約2ヶ月が経ちました。保護者の皆様には、いつも温かく見守っていただきましてありがとうございます。4月に緊張の顔だった子ども達も、今ではニコニコ笑顔いっぱいで過ごしています。先日行われた「リオンドールコンサート」ではお客さんに元気になってもらおう、喜ばせようと元気に歌う子どもたちの姿を、とても頼もしく感じました。
 さて、行方不明だった亀のかめぞうさんが、一か月ぶりに帰ってきました。子ども達も先生達も大興奮!「おかえり!」「みつかってよかった」と安堵する子、「げんきだったかな・・」「ご飯たべていたのかな?」「さみしくなかったかな」と心配する子、子どもたちの様々な思いを聞くことができました。やさしい心で、相手の気持ちを考えること、想像することを子どもたちは日々の生活の中で自然としているんだなと感じました。自分の思いを押し付けがちになりそうですが、愛をもって相手のことを考えると、やさしい思いが溢れてくるのですね。幼稚園犬のココアも自由遊びにまぜてもらうことがあります。「ココア、おいで!」と優しく迎えてもらっています。食いしん坊で、食べてはいけないものまで口にしてしまいます。先日も落ち葉を食べようとしていました。私がダメ!!と強く叱っていると、「ちょっとどんな味がするのかたべてみたんじゃないの。」という声が。ココアの気持ちになってくれてありがとう。子ども達から、いつも優しさをもらっています。

求めなさい。そうすれば、与えられる(マタイによる福音書7:7)

チャプレン 司祭 八木正言

 ベルギーの名門チョコレートメーカー「ゴディバ」。そのシンボルマークは馬にまたがった裸婦であるのをご存知でしたか?
 この女性、実はイギリスで語り継がれている女性で、11世紀のイギリス・コヴェントリーの領主であったレオフリックの妻、その人です。
 コヴェントリーの人々は、レオフリックによる圧政に苦しんでいました。レオフリックの妻・ゴディバは人々のことを思い、何度も夫をいさめ、心を入れ替えてほしいと懇願しました。しかしレオフリックは妻の言うことを聞かないばかりか、度重なる忠告に嫌気がさし、彼女を黙らせようとある無理難題を突きつけたのです。それは、「裸で馬に乗り、街を巡回することができればお前の意見を受け入れよう」というもの。彼は、これなら妻も黙るだろうと考えたのでした。彼女は悩みます。しかし、それで住民たちを救えるのならと決断、「当日は外出せず、窓を閉めてください」と布告を出して、なんと本当に裸で馬に乗って街中を練り歩いたのです!
 現実的に考えて「それは無理だ」と自らリミッターをかけることはよくあります。しかしそんなとき、たとえ周囲がなんと言おうと、物理的な情況がどうであろうと、自分はそれをするんだ、乗り越えるんだという強い気持ち、すなわち信念があれば、もしかしたら自分の望んだ方向ではないかも知れませんが、でも道は拓けていく、そんなことをこの話は教えてくれています。
 ダメだ、無理だと嘆き立ちすくむ、そうしてリミッターをかけるしかないと思った時こそ「求める」「探す」「たたく」のだ、そう聖書は語ります。リミッターをかけるのではなく、強い信念をもって「求めなさい、そうすれば与えられる」のだと。

スタート

園長 古川陽子

枯れ木のようだった桜の枝に、ピンクがかった蕾が目立つようになりました。みなさんがこれを読むころには、咲き始めていることでしょう。毎年のことなのに、春はなんだか楽しいことが始まる予感に満ち、わくわくとした気持ちになります。
 さあ!2018年度がスタートです。みんな一つお兄さん・お姉さんになりますね。

つい3週間前に卒園式がありました。入園したころはお母さんと離れたくないと泣いていた子も、幼稚園が大好きになり年長組のときには無欠席でした。オムツがなかなかとれなかった子。お友だちとうまく遊べなかった子。どの子もみんな、驚くほど成長し、やさしくがんばりやさんの素晴らしい子どもたちとなって卒園していきました。入園や進級を迎え、期待に胸を膨らませながらもドキドキと緊張気味な子どもたちを見るにつけ、この子たちが卒園するころはどんなお兄さん・お姉さんになっているかしら…なんて想像し、一日一日が貴重で愛おしくなります。
幼稚園に通うこの時期は、子どもの体と心を育てる黄金期です。大きく揺さぶられた心は大きく広くなります。楽しいこと、面白いこと、嬉しいこと、ときには悲しいこと、嫌だなと思うこともたくさん経験しましょう。大丈夫。いつだって先生がみているよ。大丈夫。みんな神さまに愛されている大切な家族だよ。一緒に泣いたり笑ったりして大きくなろうね。
ご家族のみなさん。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。
「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる(子どもが育つ魔法の言葉 より)」 和気あいあいは聖愛の最も得意とするところです。子どもたちが自分たちがいるこの世界が「いいところ」だと思いながら大きくなってくれるよう、私たち大人がよい環境を作っていきましょう。