【7月の言葉】無駄なものはない

 先日の朝日新聞のコラムで免疫学者の多田富雄(東大名誉教授)さんが次のようなことを述べておられました。
 「私は現役の頃、専門外のことに熱中し、能や文学など、無駄な道草を食ってきました。でも、無駄に見えても、あとで役に立つことはたくさんあります。・・・雑学をしたことで、科学者としてどんなに役立ったかしれません。」
 無駄ばかり積みあげてきた私にとって我が意を得たりでした。その道を極めた人がかく言うのは説得力があるが、私ごときが・・・という思いもあります。しかし、そこのところはあまり神経質にならない(?)ことにいたしましょう。
 実はキリスト教の教えのなかにも「この世に無駄なものは何一つない」という考えがあるようです。創造主である神様がこの世にお造りになられたもので無駄なものはないということでしょう。この教えは私のようなものには好都合でした。無駄な夢を見て、無駄な時間を費やしてきたなあとため息ばかりの日々に発想の転換をもたらしたのでした。私の好きな作家でクリスチャンでもある遠藤周作氏も同じようなことを書いておられました。
 ところが、これも朝日新聞の投書欄に高校生が「進路に不要な勉強は邪魔だ」とする意見が載っていました。現実に私も中学生と毎日触れ合っていますが、このような声をよく聞きます。今の若い人は無駄を嫌う傾向にあるようです。でも、結局は無駄を省いた合理的な人生など歩めないのが人間なのだと思うように、年降り積もれば彼らもなるのでしょう。無心に遊ぶ園児たちを眺めながら、無駄をいっぱい栄養にして成長していくのだろうと思っております。・・・少し無駄な時間を取らせてしまったでしょうか。